第一印象がいいってどういうこと?

切り抜きも切れ切れ。

とりあえず…捨てる前に記録。

『日経interesse2009,4』

「第一印象がいい」ってどういうこと?

立正大学心理学部長 心理学部教授 斉藤 勇さん

第一印象がいい人とは、『自分を受け入れてくれる人』のこと。

心配性の日本人は、初対面の人と会う際、「相手は自分を受け入れるかどうか」を最も気にしている。そのため、「自分を受け入れてくれる人」と感じた際に「この人はいい人だ=第一印象がいい」と思うのだ。

「自分を受け入れてくれる人」とは、具体的には「共感してくれる」「話しやすい」「あの人は安心できる」という感じを抱かせること。つまり、一緒にいてリラックスできる人ということ。

 

アメリカの心理学者まーラビ案が導き出した法則によると、第一印象を決めるのは見た目。

法則によれば、相手の「表情」6割、「話し方」3割によって、第一印象が決まる。

もっとも重要そうな「話す内容」はわずか1割。人間は考える以上に外見から影響を受けている。

 

特に拘束力がない関係の場合、いったん悪い第一印象を抱かせてしまうと「その後に修復するのは不可能と思って」拘束されない関係では、悪い印象を抱かせると「もう会うのは止めよう」になってしまう。

 

「図と地」という心理学の言葉がある。同じ絵でも、どこを図(形)とみるか、どこを地(背景)と見るかによって、全く違うものや形が見えてきたりすることを指す。

これを人と会って話をするときに当てはめてくる。最初の瞬間は服装が「図」として視線に飛び込んでくるが、会話が始まれば相手のクルクルとよく動く目や顔の表情が「図」に変わり、服装は「地」の一部となって視界から消える。これは人間は動くものを注目する習性をもつから。

 

よく比喩として、瞳が輝いている人は素敵などと言われたりもする。だが、実際には比喩ではなく、ヘスの実験が物語るように、何かに興味を持って真剣に取り組んでいるときや好意を抱く相手を見つめるとき、人間の瞳孔は大きく開かれる。その開かれた瞳孔に光が反射して、目は本当に輝く。

さらに輝いた瞳を見た人は「相手は自分に興味を抱いてくれている」と感じる。そして、相手に対して好ましい印象を抱き、第一印象アップにつながる。

初めての人と会うときは「どんな人だろう」と不安に思う気持ちが強いかもしれない。しかし、そう思いながら相手に会えば、自然と目に表れる。

いい第一印象を与えたいのなら、不安に思うのではなく「楽しみだ」という気持ちを持ちながら会うようにしたら、その気持ちがめから伝わる。

人間の目は、白目があるため、目がどこを見ているかよくわかるもの。これは、対人コミュニケーションを尾t里安いように進化したとも言われている。これから人間関係を作り上げていこうという意志を伝達するために、お互いの目と目を合わせるアイコンタクトも重要。恥ずかしくて、視線を避けることもあるが、アイコンタクトを避けると、相手に不安や恐怖などのイメージを与える。第一印象をけってう付ける大切な要素が目。

初対面の人をじろじろ見るのはマナー違反。だけど、実際には人は始めて人に会った際、ほんのわずかな瞬間で相手の服装や顔、ヘアスタイル、体系などをチェックしていると言われている。

中でも、自分にとって信頼できる人かどうか話しかけても大丈夫かどうかの判断材料となるのが、服装。この最初の関門で「近づいてもOK」となれば、初対面の人同士が近づき、第一印象を形成する過程に入っていく。

自分と同じタイプの服装をしている人間同士が近づいていく。

特に、女性の場合にその傾向は強く、初対面の人が大勢いる場では、自分と似ている服装の人に近づき話しかける例が多いという。初めて会う際に、相手のどこを見るかについて調査したところ、女性は相手が同性でも異性でも、服装にまず目が行くと答えている。まさに「類は友を呼ぶ」の言葉通り。

女性同士のグループに溶け込み、うまく付き合いたいのなら、最初はみんなが着ていそうな服装に合わせて参加するのが無難。特に、日本人は目立つことを好まない。派手な服装だと近寄りがたい印象になる。

逆に、その集団の一員となることを望まず、独自の仲間を作りたいのなら、自分の好みに応じた服装で参加すること。同じ思いを抱いている人が近づいて話しかけてくる。

人間にも動物にも、自分の縄張りを侵されると怒りを感じるという本能がある。相手に不快を感じさせないパーソナル・スペースのとり方が上手であることは第一印象のよさにもつながるはず。

異性であろうと、女性が近づいて一緒にいる場合は、相手が警戒することは少ないという。だが、男性が女性に近づく、男性同士が近づいている場合には注意が必要。パーソナル・スペースを思いだす。どんなときでも大事なのが笑顔。ある心理学の実験でも、人は笑っていない顔より、笑顔を好むことが明らかになっている。

この際に気をつけたには、言葉では「あえてうれしい」と言っているのに、目が笑っていないなど、言葉と表情が違うとき。このように相反するメッセージを心理学では二重拘束メッセージと呼ぶ。二重拘束メッセージを受け取ると人は混乱し、相手のことが信じられなくなるとも言われている。「会うのが楽しみだ」と思いながら、目も表情全体も自然な笑顔になるよう心がけたい。

また、人間には他の人の表情を無意識に真似る習性がある。よく笑顔の人を見ると、自分のかも知らないうちに笑顔になっていることがあるが、まさにそれ。このことで共感が生まれ、コミュニケーションが円滑になる。

第一印象を決める際、「見た目」に続く位置づけが「話し方・しぐさ」。印象のいい「話し方」は、「声のトーンはなるべく柔らかく、低めで大きく、スピードはゆっくり」と斉藤さんは言う。こうした話し方が相手に安心感を与える。逆に緊張して早口になったり、甲高い声を出すと、相手を不安にさせる。第一印象アップのためには、落ち着いた話方をするよう心がけよう。

一方の「しぐさ」。お互いの安心感や信頼関係は、言葉そして非言語情報とともに「共通するもの」を見つけることで作り出されるという。恋人や友達など、仲のいい二人を見ると同じように笑ったり、うなずいたり、手を動かしたり、二人の間で一致する動作をしている。心理学で「相互の同調行動」と呼ぶもの。これを「よい印象作り」に生かすことができる。視線、表情、姿勢、しぐさ、花しかとぉ相手に合わせ、自然な形で真似る。こうすることで相手は安心し、好意を感じるようになる。

話を聞く立場になったときに心がけたいのは、慶弔のスタイル。マタラゾらの実験に見られるように、人はうなずく人を快く受け入れる習性がある。人は誰でも、肯定されたいという自尊欲求を持っているから。うなずきや微笑、相槌をうつなど、話し手が自信を持って離し続けるkと尾を促す聞き方を心がけよう。腕組みや脚組みをするのはNG。批判的な態度ととられるので控えたほうがいい。

最後に、第一印象の1割だけを占める話す内容だが、重要でないからと言っておざなりにはできない。というのも、服装や表情、話し方、しぐさでいい印象を与えていても、話す内容が合わないと人は違和感を抱くようになるから。特に日本人は意見を戦わせながら仲良くなることに慣れていない。最初はできるだけ、相手の意見に合わせることが必要。もし、かみ合わないと感じたら、すぐに話題を変えて、共通のテーマが見つかるまで探してみよう。住んでいる場所や出身地、趣味、ペットのことなど、共通のテーマは必ずあるはず。一つでも見つかれば「あっ、この人とは話が合う」という心理状態になると斉藤さんは指摘する。共通の話題探しも、やはり大切なこと。

 

ポイント?

最初の関門は服装。仲間になれるかどうか近づく第一歩を決める

その人のセンスや個性は服装にも表れる。この服装、実は第一印象の第一歩を決める要因の一つ。

第一印象を決める最大のポイントはいきいきと魅力的な「目」

服装を目安にして近づいた後、人はどこを見て相手を判断するのか-それは目。

相手との距離と安心させる笑顔が見た目の仕上げ

第一に服装、第二に目。そして最後に笑顔で見た目の印象が決まる。

印象の3割を占める話し方としぐさ。ゆっくりと相手に合わせる

お互い感覚が似ている、と感じれば人は相手に好印象を抱くもの。

 

【アンケート依頼の実験】

初対面の人に与える印象で大きな要素をしめるのが服装。ある心理学者が個別に家庭を訪ね「アンケートに協力してください」とネクタイをしている人が依頼した場合と、ネクタイをしていない人が依頼した場合の実験を行った。日ごろネクタイをすることが多いホワイトカラー層では、ネクタイをしている調査員に9割以上の人が応諾。それに対してネクタイをしていない調査員に応諾した人は3割にもならなかった。一方、普段ネクタイをしていない人達ではネクタイをしてない調査員にはそれよりも多い65%が応諾するという結果。路上で行った同じ実験では、ネクタイをしている調査員には7割、していない調査員には4割の通行人が応諾した。

人が始めて会う人を見る際、きちんとした服装をしているかどうかだけでなく、服装が自分と同じ傾向かどうかも関係していることがわかった。

【ヘスの実験】

心理学者ヘスは、男子と女性に数種類の写真を見せ、彼らが瞳孔がどう変化したのか調べた。その結果、男性の瞳孔は女性の裸体の写真を見ると拡大し、女性は赤ちゃんの写真を見たとき一番大きくなった。通常、人の瞳孔は目に入る光を調節するため無意識に縮小・拡大する。ところが、この実験により瞳孔は心理的にも反応し、興味がある事柄、好ましい事象を見たときに大きくなることがわかった。さらに女性の顔写真を2枚、男性に見せた。その女性の顔写真は、同一人物のもので1枚が瞳孔を大きく、もう1枚が瞳孔を小さく加工したもの。その結果、瞳孔が小さい写真より、瞳孔を核だしさせた写真の方に男性は興味を示した。この結果に関してヘスは、瞳孔が大きいほうが「自分に好意を寄せている」と感じさせると分析した。

【ホールの観察】

人間にはコミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる空間(心理的縄張り)というものがある。心理学でパーソナル・スペースと呼ばれるもの。文化人類学者のエドワード・ホールが、パーソナル・スペースについての観察と面接を行い、4つのゾーンを見出している。①親密ゾーン(約50cmの範囲内):親や恋人、家族などきわめて親しい間柄の人だけが入ることができる。②友人ゾーン(約50cm~1mの範囲内):友人や親しい同僚など心の許せる人との会話や活動が行われる。③社会ゾーン(約1m~2m):手を伸ばしても届かないが、相手の表情は見え、話もよく聞こえる。④公衆ゾーン(約2m~7m):表情は見えにくいが、姿は見え、声も届くので、講演などで用いられる。これらの4つのゾーンは、他人との心密度を測る目安でもある。

【マタラゾの実験】

心理学者のマタラゾらが、うなずきの効果について実験をした。アメリカ・ポートランド市の警官と消防士の採用試験の面接で、志願者を被験者として行った。最初の場面では被験者の質問に面接官が自然に応対し、次の場面では被験者が話し始めるたびに面接官がうなずくようにした。そして、最後の場面ではまた自然な応答に戻した。質問内容は家族や教育のことなど異なるが、面接官の発言量や表情は同じ前提。その結果、うなずきによって被験者の発言量は1.7倍に増えた。うなずきは「発言者の言葉を否定せず、あなたに注目しているよ」というサイン。発言者はそのサインを自分への承認と受け取り、承認に応えるためにさらに発言が増えたと考えられる。誰しも、「自分のことを認めて欲しい」という自尊欲求があるが、うなずきによって、その欲求が満たされる。

 

 

正直、プライベートで出会うのと、仕事で出会うのは違うと思う。

だから、初対面に対しても反応は別。元々の習慣で、仕事上相手を大切にする格好そうでない自分を大切にする格好というわけ方が染み付いていると、自分を出す服装をしている人と仕事上で同じ職業として接するのは嫌いだ。だけど、その人の価値観の中で、もしかしたらそれが精一杯なのかもしれないと思えるようになった。ちゃんとしろって言っても通じない。だから、企業などが採用するときには、ちゃんとするって言うことを知っていて、共通認識がとれる人を雇うのだろうと思う。その辺がルーズな人が採用面接をすると、共通認識が取れない人が入ってくる。辞めさせることもできない…とマイナスになるから、企業はチェック機能万全に行うと思う。育つ中で学ぶ機会がないのも残念だが、昔の日本では学ぶ機会を学校で…と、教師の服装に対しても厳しく言われていた。それがルーズになっているので、社会での信用も低下していると思う。アンケートではないが、服装で判断する能力はみんな持っている。というより、持つように家庭で育てられる人達もいる。持たないとうまく生きていくことが難しいから。

文章は、原文よりも省略したり、言葉を補っている。全ての記事を写していたわけではないので、大本と違うかも。

 

「ぞうさん」の贈り物

1998年6月1日の朝日新聞社説。衣替えについて

きょうから6月。衣替えである。

この変わりめに、こころの衣替えを考えてみたい。

まど・みちおさんに会った。

童謡「ぞうさん」の作詞家で知られる。

ぞうさん

ぞうさん

おはなが ながいのね

そうよ

かあさんも ながいのよ

大人も子どもも知らない人はいないだろう。作曲は團伊玖磨だ。

ぞうのこどもと母親の仲よしこよしの歌と思っていた。

「そうではないのです。ぞうの子が鼻が長いとけなされている歌なのです」

それでもぞうの子はしょげたりしない。むしろほめられたかのように、一番大好きな母さんも長いと、いばって答える。

「それはぞうが、ぞうに生まれたことはすらばしい思っているからです」

ぞうに限らない。ウサギもイワシもスズメも草や木も、地球に住む生き物たちすべてが自分であることを喜んでいる。人間だって、そのなかの一員である。これが、まどさんの「ぞうさん」哲学なのだ。

アイデンティティーとか「自分探し」といって、自分の存在証明に躍起になることもない。「あるがまま」でいいのだ、といっているように思われる。

人間も他の生き物も、それぞれにちがいがあるからこそ意味がある。違うもの立ちがその違いを生かして助け合うことが最善のみち。みんながみんな心ゆくまでに存在していい、共生の考え方だ。

まどさんは相手の傷や痛みを自分で引き受けてしまう。そんな詩を読むと、何か途方もなく大切なことをなおざりにしたままでいることを気づかせてくれる。

88歳。戦前、台湾にいた19歳から童謡や詩を書く。その数は千を越える。いまも書き続ける。

まどさんは繰り返し蚊の詩を書く。

刺しにくる蚊。おもわずたたいてしまうのだが、刺される側のまどさんは、血を吸わなければ生きていけない蚊の身の上にまで心を痛める。

きえいりそうに よってくる

きんいろの こえを

大げさに たたいたあとになって

ふと おもうことだってある

むかしむかしの

りょうかんさんだったらばなあ…と

たたいてしまった自分に傷つき、蚊のことが気にかかってしまうのだ。

こどもがしゃべった言葉を詩にした作品展で、まどさんの印象に残ったのは、教室でトイレに行きたいが紙がなく地団太を踏んでいる。それを見たほかのこどもが一緒足を踏み鳴らしたというものだった。

童謡「サッちゃん」の作詞家でまどさんの評伝を書いた坂田寛夫さんは「私たちがふだん見過ごしてる小さな、それゆえ大事なことを教えてくれます。いまでも新しい発見に向けて、散歩しています」。

ほかのだれでもない自分が、ほかのどこでもない「ここに」いる。そのことこそが、すばらしいのだと「ぼくが ここに」という詩でまどさんはうたう。

衣替えには「季節を着る」意味があった。袷から単になることで、こころまで軽くなる。

あなたも「お仕着せ」を縫いで、衣替えしてみませんか。

 

 

ちょっと強引な感じも何度読んでもしますが、「ぞうさん」ってそんな意味だったの…。驚きをもって読ませていただき、切り抜いていたのでした。

1948年に書かれたもので、1953年に團伊玖磨が曲をつけてNHKラジオ放送された。その歌詞は自らのもつ差異を肯定し、誇りとするものとされている[。周南市徳山動物園には「ぞうさん」の歌碑がある。

みちおは「ぞうさん」について次のように語っている。

「『鼻が長い』と言われれば からかわれたと思うのが普通ですが、子ゾウは『お母さんだってそうよ』『お母さん大好き』と言える。素晴らしい」

この文章はウィキペディアに載っている説明から。

本年、2014年2月28日、104歳で、老衰のため病院で亡くなられた。こうみると、88歳のときとあるので、それから16年。

〈ぞうさん〉とまど・みちおの思い

法政大学のレポートのようです。

ぞうさんの解釈などを丹念に調べられている。そして、どこの国の方だろう?韓国かな?日本人の思考という視点での考察など面白いなぁ…と思いました。

このレポートで知りえたことで気になったことを2つ。

1)「ぞうさん」の作られた背景を勝手に創作した朝日新聞記事があったということ。

1968 年4 月21 日の朝日新聞「東京のうた」欄に載った記事。

2)「ぞうさん」の。おはながながいのね」は、原文は「おはながながいね」だったということ。

「佐藤通雅『詩人まど・みちお』北冬舎、1998 年10 月、227 頁

「 佐藤義美さんのこと―まど・みちおさんに聞く―」『季刊どうよう』、チャイルド本社、平成2 年7 月、27 頁。

 

 

驚くべき事実。知らなかったわ…。

「の」がないと、確かに非難めいて聞こえる率が高くなる気がします。

 

朝日新聞の社説として、この「ぞうさん」のことを取り上げるってどういう意味があったんだろう?なんて気になりますね。

 

今までのスクラップなどを整理して捨てていく中で、記録したから捨てようかなぁ…と思っていたのですが、違う意味で気になりました。

 

 

プチ制服化現象

これは以前入力した気がするけど…消える前だったのかもしれない。

 

今から何年前の新聞の記事なのかも記録をとっていないけど、今や普通?

 

古館伊知郎のTV的職業病

プチ制服化現象

個性的?実はみんな同じ

目からウロコが落ちるとはこのこと。消費不況直撃の最中、大手デパートで今、売れに売れているものがあるという。それは女子高生の制服だ。

いや、厳密にいうと制服ではない。従来の制服は、それぞれの学校指定の文字通りの制服だったが、今売れているのは限りなく制服っぽいデザインの私服。紺のブレザーにチェックのスカート、襟元にはリボンという名門私立校風のデザインで、伊勢丹では「自由服」と呼んでいるらしい。

制服と私服の間に自由が存在するのか?私の硬直化した脳はこの現象を理化するのにちょっと時間がかかる。私の高校時代など制服こそが不自由の権化。したがって怒られるのを覚悟で学生服の下にわざわざ赤いセーターを着ていって、金ボタンを二つぐらい外して画一化に反抗したつもりになっていた。しかし、それはあくまで学校という組織の中でのアピール。「自由服」を選ぶ現代の女子高生は完全に外へ向けたアピールだ。

世間では女子高生ブランドを押し出したほうが注目されて得をする、という戦略。彼女たちは重大にして、すでに市場原理というものを学んでいる?我々の世代が埋め込まれた「自由」だの「個性」だのといったたちの悪い幻想に惑わされていない。どうせ個性なんて大したことない。だったら女子高生というグループへの帰属を前面に出した方が「ヨクナクナイ?」というわけだ。

このプチ制服化現象は、勝手気ままな私服全盛とみられがちなTVの現場にも実は蔓延している。一見それぞれが自由で個性的なふりをしつつ、よく見るとスタッフからタレントまでみんながみんなTシャツを着ている。まるで襟付きのワイシャツ、ポロシャツの類は厳禁というルールでもあるかのようだ。もし襟付きのシャツをはおっていたとしても絶対にその下にはTシャツを着ていて、しかもシャツのボタンは一つもかけず、Tシャツを丸見せにしている。もし本当の自由人だというなら、「少年の心のままに」詰襟の学生服でスタジオを仕切るディレクターが一人はいてもいいはずだ。

かつてサラリーマンの事実上の制服といえば「どぶネズミ」の背広一色であった。しかし、今は昔よりオシャレ。中間管理職系には相変わらずどぶネズミ系が多いが、CEOなんて言葉が流行りだしてからだろうか、役員クラスはオシャレな黒系のダークスーツが主流になり、一方若いサラリーマンはダーク系3つボタンにダークカラーのワイシャツ、同じくダークなネクタイというスタイリッシュないで立ちが台頭している。

しかしこの現象は一つだった制服が立場によって三つに分かれただけの話。これはまさに、光り物とくくってしまえば一つだが、アジとサバとイワシにそれぞれの立場が分かれるのと同じだ。そして同じ種類の魚が群れで行動してくれるからこそ一網打尽で網に引っかかる。そのあたりの原則は海の魚も陸のヒトもあまり変わらないという大自然の法則を私は完全に理解できた気がした。

 

 

とりあえず…いつの新聞から切り抜いたのかわからないけど、5年以上は経っている気もする。

 

多分、8年~10年前の記事では?って思います。

 

制服の概念はいろいろとあるのでしょうけど、制服みたいな私服を着て、高校生という枠組みに入る…それを崩して着る…女子高生が幼稚化しているなぁ…と、読んだ記憶あり。それなのに、そこからいきなり就職…大学へ行ったとしても…4年で就職…

「かわいい」ものが売れるのも、納得…と、世界中での傾向なのでしょうか?

 

制服っぽい私服を着るという気がしれないなぁ…って思っていたけど、たとえ私服だとしても、確かに20代の人が着ていたら…本人もきついなぁ…って感じているでしょうねぇ…とAKB48などを見てしまいます。

そんな制服っぽい格好をしないと、20代も10代も違いないような…そんな化粧をして同じような服を着て…ある意味、早く大人になりたい…というのか、大人として化粧する?一方で、短いスカートの制服もどきを着るとチグハグで…気持ち悪さを感じたりもするのですが、改めてこの記事を読んでいたら、親も服装低年齢化しているかもなぁ…。

好きな服装を着ているだけ…か。とも思いました。

 

きれいに着ることからうまくできないなら、立ち振る舞いも着方に合うよねぇ…というのは、イマイチ感いっぱいに感じます。

遠めで昔ではよく見かけたフォーマルスタンダードなスーツ姿の若い女性を見ると、どんな人だろう?と興味を持つくらいにズレテイルなぁ…がいっぱいで、きれいに歩いていたら本当に感動してしまうのでした。

今は東京どうなっているのかなぁ~?

知的ノートの作り方

出典はわかりません。このことを書いたプリントを頂き、ずっと持っていました。

 

ノートと成績のあいだに何故迂回関係が生じてくるのか。人工の脳ともいわれるコンピュータの使い方と比較してみるとわかりやすい。コンピュータはすばらしく頭の良い機械だが、それに命令を与えるプログラムが良くないと、本来の機能を果たしてくれない。一方、私たちの頭脳は天然の優秀なコンピュータ、それに入れるプログラムがいい加減だと、やはり能率よく働くことは無理だ。

このプログラムに当たるものが、学習の場合ノートである。学習内容をいかに能率よく正しく頭に入れる過渡いう命令がうまくセットされていることが必要である。

ノート作りの最大のメリットは、「ノートをとる」「ノートに整理する」という作業そのものが、学習にもっとも大切な記憶力・理解力を高めてくれる点である。つまり、ノートを作るという手の動きと思考回路は、常に同時進行しているのである。

 

1)暗記に強い人より、整理上手の人の方が成績が伸びる。

「10で神童、15で才子、20過ぎればただの人」

成績の二分局化現象が、なぜ高校時代に起きるのか、その原因は

①小学校時代は、誰でも機械的な暗記力が強いが、中高校と成長するにしたがって少しずつ低下する。

②学習量が、中学から高校へ入ると、飛躍的に増えること。

③勉強の内容が高度になる。自分から積極的に働きかけていかなければならない。

これまでの暗記中心式の勉強法を整理中心式、つまり、毎日の授業で習う程度の高い膨大な情報を、テキパキと整理していくやり方に切り替えていく。

☆ 整理中心式の勉強法の主役、それがノートである。

☆ノートを見れば、その人の成績がわかる。

2)バラバラの知識は、それだけでは役に立たない。

ノートの内容と頭の構造とは、密接な関係がある。

ノートは単なる知識の寄せ集めではなく、学習上価値のある情報の記憶装置でなければならない。そのためには、あまりひつようでない情報は最初からボツにして、利用度の高いものだけを選出し、それらを必要なときにいつでも再生できるように、順序良く配列しておくことが大切である。

(情報収集からノート整理までのプロセス)

①情報を集める

②選択する

③考える

④理解する

⑤書く 自分で説明するように書く

 

 

あと、3)として時間の経過と忘却度について書かれているプリント。

 

これを読み返して、思うことは対象は誰だったのだろう?ということ。

ノートについての考えとしていただいたプリント内容。

正直、ここに書かれているノートイメージを共有しないままプリントでこの考えを知った程度なので、どんな状態を想像しながら書いているのかはdふぁ

2013あけましておめでとうございます

ようやく、昨年いただいたコメントを読み終わりました。そこで、コメントを下さったみなさまへ。まずは、ありがとうございました。感謝申し上げます。本年分だ!とようやく今年いただいたコメントを拝見したので、書き始めします。

 

今年は、いつものように…よりがんばったのは、初日の出を見に行きました。


初日の出を見に行くのは久しぶりでした。

日本では一年に一度の最初の夜明けとしてめでたいとされ、初日の出参りを行う人は数多くいる。この習慣は明治以降に盛んになったと言われている。

これは、ウィキペディアにある一文です。

 

とりあえず…、本のタイトルは思い出せないけど、明治に入り政府主導でとにかく神社と寺と分けて、天皇を神として崇めることで国をまとめようとしたところに、ご来光って初日の出を見に行く習慣を奨励したようなことが書いてありました。

 

たぶん、山頂に上がったりして見たら日の出の時刻として発表されている時間に日の出を見ることができるのかもしれません。しかし、私が見た初日の出はそれから約10分過ぎてから。

 

「正月」という言葉は、中国から伝わった言葉。中国、周の時代に11月を正月と言っていたのだそうです。そして、王朝が交代すると暦も一変。時代が下って1月を正月というようになったのだとか。

調べてみないといけないと思っているのは、旧暦では必ず冬至を11月におくようにしていた理由。

冬至は日照時間が一番短い日。その翌日から日照時間が長くなりますので、万物を育む太陽が再生する日として、多くの文明で一年の終点(起点)として使用されています。それなのに、旧暦の一年の長さを単純に365.25日とするユリウス暦精度の暦と、歳差運動を考慮に入れた太陽太陰暦では、400年で約10日のズレが生じます。

ある年にユリウス暦精度の暦と太陰太陽暦が日付合わせをしたとします。常識的に考えて、ユリウス暦が冬至を大晦日とすることになるでしょう。1200年後にはユリウス暦の冬至は11月になります。太陽太陰暦は、太陽に合わせて月を決めるので、冬至がある月が12月でかわりありません。この冬至が11月になってしまったユリウス暦精度の暦が、ある年から精確な太陰太陽暦に移行すると、11月に冬至が来る太陰太陽暦ができあがります。東洋の暦、すなわち古代中国の暦が冬至を11月に置いていることは、千年以上の歴史があったユリウス暦精度の暦が、あるときから太陰太陽暦へ移行したことを物語っています。

  ここで気になるのは前漢の武帝が10月を翌年の1月にする改暦を行っていることです。前漢は秦暦を使っていました。秦暦は中原の暦と2ヶ月のズレがあり、秦暦の10月が中原の1月でした。前漢は武帝の時代に、秦暦を中原の暦に合わせたのです。中原の暦が太陰暦だったことは明らかなので、後ズレしていた秦暦がグレゴリウス暦精度太陽暦だった可能性が高いです。

 順番に言うと、おそらく商(殷)はどこかで千年以上の伝統がある太陰太陽暦を手に入れました。その時点で既に太陽暦と太陰暦の間には1ヶ月のズレがあり、商は11月を冬至とする太陰太陽暦を使うことになりました。西周と中原諸国はこれを継承しました。これに対し、西周を滅ぼした秦は、太陽の観測によって日付を補正しない固定太陽暦を使用しました。それは秦が文明的に後れていたためか、あるいは中原とは違う思想を持っていたためかどちらであるかは不明です。

と、書いてあるサイトから。

冬至を11月に置くように旧暦はできている。そんなルールと月の満ち欠け周期と太陽の周期。

新月から新月までの月の満ち欠けひとめぐりのサイクルは29.5日(正確には29.530589日)

冬至から冬至までのサイクルは365日(正確には365.24219日)

 

実はこの両者が重なることは非常に少なく、19年に一度。それが、今年起こる。これも貴重な年かも。

そんな日を「朔旦冬至」といい、今年はその年。めったに訪れることのない大変おめでたい日とされていたといいます。

冬至はかつて1年のはじまり。その後の紆余曲折をへて、いまでは旧暦の11月だけど…「朔旦冬至」は旧暦11月1日と冬至が重なる日って思うとびっくりでした。

 

天保暦では,冬至を含む月は11月,春分を含む月は2月,夏至を含む月は5月,秋分を含む月は8月となるように調整するというルールが加えられた

と、こちらは『新法暦書続録 巻四』にあるそうです。

 

旧暦2033年問題

なるものがあるそうで…こんなことを知るきっかけになりました。

 

 

正月の日本古来の呼び名は「ムツキ」。『日本書紀』にすでに一月は睦月と表記されているそうです。

「睦月」は「睦み月」仲良くする月の意。

「正月をむつきと申侍るは、しる人なrは、たかひに行かよひて、いよいよしたしみむつぶるわざを、しけるによりて、此月をむつびづきと名づけ、それを略してむつきと云也」と古書にあるそうです。

 

正月は、本来は歳神様を祭り、新たな年の豊作を祈るものだったところに、楽しみを求める人々の心が加わって現在の正月行事に発展したそうです。

 

小笠原惣領家の伝書に「正月朔日一日を元三ということは、年の初め、月の初め、日の初め、かくのごとき儀を持って三つの元というなり」とあるそうです。そこから、三が日と称したそうです。そして、正月の期間は「五カ日ということは、一日、二日、三日、七日、十五日なり」とあるそうです。

 

七日は、人日の節供あるいは七草の節供といって、一年の節供の始まりの日。男正月ともいう。

十五日は、小正月といい。また、地方名?女正月という。

 

 

古くは1月15日(小正月)までが松の内といい、この日まで門松を飾っていた。結構、成人式がずれるまではそうだった気がします。門松飾る期間を、江戸時代に徳川幕府の命により1月7日の大正月までとしたそうですが、関東地方以外には広まらなかった過去があるようですが…今は7日までみたいな雰囲気は広がっている気もしますね。

1月15日の朝には小豆粥を食べる習慣があったと過去では普通だったようです。古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されているそうです。平安時代、宇多天皇のころから始められたそうです。「この粥は小豆粥といって、小豆、ささげ、きび、あわ、みのごめ、とろろいも、米を混ぜて粥とする」と7種のものを混ぜていたそうです。現在では、小豆と米と餅をいれたもの。ただ、現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域があると東北だけのように書かれている文章を発見しました。ただ、「だんだら粥」ってものを食べていることを働き始めてすぐくらいに教えてもらったことがこのことにつながったときは感動しました。食べている子は意味わからないで食べているけど、この昔普通にあったらしい習慣って、方言と同じで伝わっていって残っているのですね。ちなみに、これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多いのだそうです。こちらは本当なのかな?小豆粥を食べる習慣はなかった私ですが、確かに鏡開きをしてぜんざいは食べさせられていたのは覚えてます。

本を開くと載っている情報でも、サイトでは見つけることができませんでした。

 

歳神様は日の出とともにやってくると、明治時代山へ登り迎えに行くって広まったとのこと。

 

先日、鏡餅の説明をしていたら、「あのプラスチックの中に餅が入っているやつでしょ」という反応を受けて、「餅を丸めて重ねる」と話したら、「それは食べられないでしょ」ともったいないと言われてしまった。鏡開きというのがあって…と説明しても伝わらず…