奇跡の子 内村航平の原点

ちょうど、片付けていたら、出てきた…開かれてもいない新聞。

ドタバタとしている日は、全く手つかず…と、片付けようとしたら「内村航平」という文字。気になったので読んでみました。

 

「魔法の言葉」で急成長

 人間離れしたG難度の技を決め、着地に狂いもない。体操界のエース内村航平は強く、美しい演技で人々を魅了する。「プレッシャーって何なのか分からない。どんどん期待してもらっていい」。この夏の主役候補は言いきった。

 

 少年時代に指導した父の和久は、17年前の”事件”を振り返る。「航平をたたいてしまった」。小学1年で初めて出場した長崎県内の大会。緊張で顔を真っ青にした内村は演技構成を忘れてしまう。「40人ぐらいいて再会でした。それで…」

 和久は、福岡・柳川商高(現柳川高)時代に全国総体で床運動と跳馬を制した。息子であり、教え子のふがいなさに思わず手をあげた。「(たたいた箇所は)お尻でしたが、主人がたたかなかったら、私が『何でできなかったの』と責めていたかもしれません」。体操選手として、学生時代に九州で名をはせた母の周子が明かす。その後、内村は試合になると全く力を出せなくなった。

 

 和久は福岡県大川市で生まれた。街を流れるクリークにわらを敷き詰め、宙返りで着地を決めるのが得意だった。高校1年だった1976年、体操男子はモントリオール五輪で団体5連覇を達成。体操ニッポンの黄金時代に胸をときめかせた。日体大を卒業後、福岡県内の体操教室で指導者の道を歩み始めた和久は、五輪に出られるような教え子を育てるという夢を抱いていた。その頃、九州で指導していた周子と出会い、結婚。当時住んでいた北九州市で第1子が誕生した。昭和から平成に元号が変わる5日前の1989年1月3日のことだ。

 2702グラムで生を受けた子どもは「世界を目指し、大海原に飛び出して欲しい」との願いから「航平」と名付けられた。3年後、31歳の和久は、周子の実家があった長崎県諫早市で念願の独立を果たす。海上コンテナ2基をつなげた自宅で体操教室を開いた。

 

 夫婦は航平を授かったときから「子ども達に重圧をかけるような言葉は掛けまい」と決めていた。だから、教え子となった小学1年の息子に対して禁を犯したことを悔やむ。練習ではできるのに試合になると委縮する姿に、感情に任せた行動は過ちだったと気付いた。「よかよか、次頑張れば」。小学4年の時、試合で失敗した内村の頭をなでながら、和久は語り掛けた。この言葉は、次第に内村の「お守り」になっていく。第一人者となってから、内村は周子に打ち明けた。「お父さんの『よかよか』でここまで頑張れたよ」

 両親の”魔法の言葉”で成長し、北京五輪に出場。大会前は腰痛に苦しんだ。自分達の夢をかなえた息子の雄姿を見たい気持ちは当然ある。それでも周子は「出られなくてもいいじゃない。私はベンチの航平を応援するから」と励ました。

 

 「体操と出会えたのも両親のおかげ。どんなレベルになっても同じように応援してくれる」。最下位にべそを書いた少年は、23歳の今、世界から「天才」と呼ばれるまでになった。「自分の子ではないみたい。『奇跡の子』です」。周子は目を細めた。

西日本新聞20120年7月17日

 

読んで、そんなことがあったんだ…と北京オリンピックの話もよく知らずにいました。

新聞記事には写真が2枚。一枚は3歳のころ、鉄棒にぶら下がっている内村選手の写真。その写真は体操教室のチラシに使われていた?使われている?そうです。

 

「よかよか」

この言葉を言えるのか?というよりも、重圧をかけまいと誓う背景にある思いがあるからこそ、自分を制するのだと思います。

読んでいて思ったのは、この内村選手の両親は重圧をかけられて選手生活を送ってきていたのでしょうね。

それで結果を出していったと信じている人は、次に指導者になっても同様に圧力をかけていくのかもしれません。だけど、本当は圧力をかけていることがどのような影響を与えているのか、そのことをしっかりと認識し、自分が体験して嫌だったことへの思いを忘れなければ同様のことをしないために、他の方法を学ぶ努力をすると思います。

だけど、されて嫌だったかもしれないけれど、その嫌だったという思いを覚えていても、それ以外に方法がないと、嫌でもそれ以外には勝つ方法がないと思うと同様のことを…それは自分が嫌だったはずのことを後進者に対して行って、自分に言い訳をしている人がいますよね。それ以外勝つ方法はないから…。

本当は、圧する方が相手を委縮させ、本来の力を出せない方向に持って行きかねない…って、ちゃんと科学的に学習していれば知っているはずなのに…思わず叩く、責める…そして自分に言い訳をする。そうするから強くなるんだ…。一番簡単な負のサイクルのできあがり。これは虐待の連鎖と一緒。

他の方法を学び、様々な他の方法を探る…そして、身につけるべく取り組む。一朝一夕で身に付かない指導スタンスだと思うのです。それでも、「よかよか」と言い続け、「出られなくてもいい」と言うことの凄さを思います。

 

自分が受けたことに対して、間違いはないはずだ…と虐待を受けた子どもは思いたくなりそう思いこむために、おかしい!とか嫌だったという思いを無意識の世界に追いやり、その方法しかないんだと同じ方法を繰り返している人に出会って思うのです。私も声を荒げることあります。そして、本当に伝わらない…と思わされることもあります。特に、長いこと、虐げるような圧する指導を受けた子どもには、恐らくこの内村選手のお父さんのように接されると何をしてもいいと勘違いして行動する可能性が高いと思わされます。指導が理解がうまくできない子にしていっているのが理解できないのは、自分は耐えて頑張ってきたというスポーツマン精神?で指導している人だと私は思います。そんな人にはよく出会えるなぁ…と思いますが、本当にすごいなぁ…と内村選手のご両親の指導を思うのです。

自分はそうやって虐げられる指導で耐えてきたのだから…耐えなければ強くなれないと勘違いしている人達は頭を使わない兵隊的に扱われたスパルタ指導で育ったのだろうと思います。そして、同じ体験をしても、それを伝えていく人と、そうではない方法をするために自分を律する人。一番大きな違いは強さだと思います。本当に強くないと、変えることができない。強いのは心なんですよね。

いろんな思いがよぎりながらも、「よかよか」と言い続ける試合後の対応かもしれません。だけど、普段は違うのかもしれません。「よかよか」はきっと、自分への言葉だと思うのです。「次はどう接していくと、どう組み立てさせると間にあうか?また、結果を出せるように本人にコンディションをはじめ全ての取組みをどのように用意したらいいか気づかせることができるか?」なんて思いなのでは…?って思います。結果を出せないのはコーチのやり方のまずさ…と、自分の指導のまずさを反省し、どうしたらいいか考える。「よかよか」は恐らく、決して結果が出なかった責任は選手ではない…自分の指導をどうしたらいいか…仕切り直しを思っていらしたのではと思います。

 

スパルタ方式だと、こんなに言ったのになぜ結果を出せない!といかにも選手のせいみたいですが、

実は、結果をいかなる状況でもだせる選手にできなかった…と考えたらコーチの責任みたい…これが問題解決力をつけさせるってこと。

自分で考え、自分で知識や技術を身につけ結果を出せるようになっていけたように思うときがあるかもしれない…これがコーチングかな…って思うのです。蛇のしっぽコーチングって教えてもらったのを思うのです。

 

難しい指導だけど、それをするって、決めることが早いのは、マイナスの大きさを客観的に捉えて、背面教師にお世話になったかもしれないけど自分の指導者をすることができたからだと思います。それができないと、いつまでも…自分も同じことをしていく…。虐待がなくならないのと一緒ですね。悪いとかいいとか、自分の感情を評価せず全てを受け入れる力が必要なんですよね。

 

そんなことを思わされました。

 

 

家族?家庭の目標って何…

夫が妻の「家を買いたい!」を断れない理由のブログにある女性が家を持ちたい理由?

家のマネジメントは面白いなぁ~って思いました。これを思うのは悪いとかいいとかの判断ではなく、笑ってしまう…。男性が他人事のようにしているのこれに対して?と思うのが本音ですが…。

1) 業績目標の達成(計画、実戦)

 ・子供の教育

 ・持ち家の獲得

2) 予算管理(家計管理)

3) 人事管理

 ・夫の健康、体型

 ・子供のしつけ、教育

4) 組織管理

 ・楽しい我が家と仲の良い家族の維持政策

 ・ソツのない親戚つきあい

 

なるほどねって感じですよね。