「退職貧乏」防ぐには

なんてすごいタイトル…と思い、切り取ってました。

読むのは、正直書いてあるようなことは想像つくけど…って思いながら、

「幸せな退職に近づく3つのステップ」ということで、3つイラストで紹介されていたことは役に立つかなぁ…なんて思ったのでした。

ステップ1 価値観の階段をつくる

ステップ2 自分の価値観を再確認

ステップ3 退職へ向けての軌道修正

 

9月の週末に、100人を超える会社員が東京の大手町に「退職貧乏父さんにならない6つの方法」という本が出たそうで、そのための記念セミナーがあったんだって。


検索して、本を見つけて思ったのですが、この本の帯ってドキッとするのかもね…。

退職貧乏父さんにならない方法

このサイト、日経新聞のサイトみたいだけど、グラフがあってわかりやすい~。

図4 夫婦二人暮らしの老後資金のシミュレーション(ファイナンシャルプランナーの豊田眞弓さんによる試算)

この表は、夫婦二人暮らしの老後資金のシミュレーション(ファイナンシャルプランナーの豊田眞弓さんによる試算なんだそうです。

 

こんな計算を見る機会をよく持つよなぁ…と思いますが、普通は見ない方が多いのかなぁ…?

 

こんなのを定年間際に…?というか、見ていたら参加者は30代からと書いてあったので、早い人は30代からなんだ…。

 

今は見せていないけど、以前、退職間際の人に見せて老後について考えさせるというビデオを高校生に見せました。見せていない理由はそれが時代に対して古いから。だけど、それを見て生徒は、こんなの50代になってみても遅い…という反応があっていた。そうだよねぇ…。趣味を考えましょう~とか、健康を維持しましょう~とか、そんな退職後が近づいて考えるものにしていると大変なことになるよね。

 

本の帯に書いてある文章、なんて書いてあるのかって拡大してみたら、1つでも当てはまるお父さん要注意ですだって。

□妻とビジネスクラスで退職祝い旅行

□自分は仕事がデキるいい上司

□退職後は趣味活動で友達作り

□子供のために支援は惜しまない

□貯金はひとつの銀行に預けっぱなし

 

今はどうなんだろう…?

まだいるんじゃないかなぁ…退職金でローンを全額返済してどうにかしよう…と考えている人。

 

あと、子どものために支援を惜しまない人の話…って、子どもは学生ではないんだよね。多分。

私が知っている人も、子どもの子どもの私立学校へ行く支援とか、マンション支払い支援、海外旅行支援…。

すごいなぁ…って話を聞くことと、実はそれで老後が心配だ…と聞くことがあり。

求められたら支援してやりたいと思うけれど、自分の老後に不安を感じる…。そうやって支援してもらっているんだから、子ども達がちゃんとどうにかなったらどうにかしてくれるんじゃないの?と疑問に対して、イヤ…子供は期待できん…って、それならそんな支援辞めて自分の老後に備えたらいいのに…と話したら、それも…。

ホント、大変ですね。

女性婚

 

 

 

 

 

2012年9月1日の西日本新聞夕刊にあった記事

「女性婚」という選択肢

 結婚した夫婦の大半は夫の姓を名乗るが、妻の姓を選ぶ夫婦も徐々に増えてきた。 婿養子と異なり、婚姻届の「妻の氏」欄にチェックを入れるだけ。背景には改姓を望まない女性や、一家を養う役割に負担を感じ、自分の名字にもこだわらない“草食男子”の増加があるようだ。こうした結婚を「女性婚」と読んで推奨する動きもある。

 昨年結婚した東京都の大輔さん(26)、麻衣さん(26)=いずれも仮名=は女性婚カップル。最初、大輔さんの姓で婚姻届を出したが、麻衣さんは「名字が変わるのはどうしてもしっくりかない」と感じた。大輔さんは「自分はこだわりはない」。そこで3カ月後にいったん離婚、麻衣さんのせいで婚姻届を出し直した。

 愛知県に住む智子さん(36)=仮名=も女性婚を望んでいる。一人娘で親からは「婿養子を」と言われて育った。しかし、結婚したい相手は養子縁組は難しい。「間を取った女性婚なら結婚できそう」と智子さん。

 民法は「夫婦は同姓」と定めており、結婚時にどちらかの姓を選ぶ必要がある。大半は夫の姓を選ぶが、妻の姓を選んだ夫婦は1975年の1.2%から2010年は3.7%となっている。婿養子の場合は、毛っこない手の親と養子縁組をし、法律上も妻の親の息子になるが、女性婚にはそうした手続きは不要だ。

 「女性婚のススメ」の著書があり、神戸市内で結婚相談書を経営する伊達蝶江子さん(49)は「女性のサポートにまわることをいとわない男性が増え、女性婚が受け入れられやすくなった」と指摘する。

 一方で伊達さんによると、特に08年のリーマン・ショック以降、妻を養える収入がある男性が減少。自分の収入があるため男性の稼ぎにこだわらないが、名字は変えたくない女性も結婚をためらっている。「女性婚なら男性のプレッシャーを軽くし、女性は名字を変えずにすむ」と伊達さんは言う。

 夫婦の姓については、希望する場合に夫婦がそれぞれの姓を名乗ることができる「選択的夫婦別姓制度」を盛り込んだ民法改正案が国会に何度も提出されたが「家族の一体感が壊れる」などの反対から成立していない。

 

女性婚という呼び方には、なんか考えることがありますが、そんな本があるのですね。

 



 

歴史的な話ってね。

夫婦同姓の歴史は意外に浅い。

 夫婦同姓は日本の伝統であると思われがちであるが,その歴史は意外に浅い。武士階級では夫婦別姓であったし,明治の初期に平民が苗字を持つことを許されて以降も,1876(明治9)年に「婦女人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用フヘキ事」という太政官指令が出されるなど夫婦は別姓であった。

 夫婦同姓が強制されることとなったのは,1898(明治31)年に明治民法が施行され,「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」(788条)「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」(746条)と定められて以降の100年足らずのことである。

 戦後改正された民法においては,「夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称する」(750条)と規定され,夫婦同姓制度そのものは維持され,現在に至っている。 

 

婦別姓 各国の状況は?

表にまとめてあります。すごい。

 

「日本は古来、夫婦別姓だった。その証拠に、源頼朝の妻は北条政子、足利義政の御台所は日野富子だ」という議論がある。

ということが書いてあったりしました。

 

夫婦別姓 の メリットデメリット http://jp.meritdemerit.com/topic/865

こんなによく思いつくなぁ…という意味では、気付きに役立ちます。感謝。

 

夫の氏・妻の氏別婚姻 厚生労働省の統計より

婚姻後どちらの姓にするかという観点からみた、夫の氏・妻の氏別婚姻件数及び構成割合を夫妻の初婚-再婚の組合せ別にみると、どの組合せにおいても妻の氏が昭和50年から増加傾向にある。また、組合せ別に比較してみると、初婚の妻よりも再婚の妻の方が妻の氏の割合が高い(表13)。

表13 夫妻の初婚-再婚の組合せ別にみた夫の氏・妻の氏別婚姻件数及び構成割合

-昭和50~平成17年-
表13 夫妻の初婚-再婚の組合せ別にみた夫の氏・妻の氏別婚姻件数及び構成割合

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/konin06/konin06-4.html#4-3より

 

平成 18 年度「婚 姻 に 関 す る 統 計」の概況

 

 

夫の氏・妻の氏別婚姻

昭和50年と平成17年の婚姻後どちらの姓にするかという観点からみた、夫の氏・妻の氏別婚姻件数及び構成割合を都道府県別にみると、昭和50年では妻の氏の割合で岩手、青森、茨城の順に高く、平成17年では岩手、茨城、栃木の順に高くなっている。また、平成17年は昭和50年に対し、全都道府県でその割合が高くなっている(表23) 。

表23 都道府県別にみた夫の氏・妻の氏別婚姻件数及び構成割合

-昭和50・平成17年-
表23 都道府県別にみた夫の氏・妻の氏別婚姻件数及び構成割合

 

都道府県別に見ても、傾向があるようですね。

全体として妻の姓を名乗るパターンが増加している感じはします。

 

名字一つで、夫婦の一体感が崩れるのかなぁ…?それは少し疑問を持つところです。

貧食の時代 東洋経済

 

新聞の下に掲載されていた広告。

気になったので、チラッと立ち見をしようかなぁ~と本屋さんへ行きました。

チラッと立ち見…と最初の本屋にはなかった。

だから、2件目に行ってあったのです。

チラッと見るだけのつもりでしたが、ビックリ。購入してしまいました。

今週の第1位は『週刊東洋経済』 … 貧食の時代という「貧食の時代 東洋」で検索した結果見つけたもの。ちょっと開いてみたら、書籍に対する批評?

-Fujisan 読み物

「生鮮が消えた国」と題し て米国の低所得地域にはろくな生鮮食品が手に入らない「貧食」も取りあげられている。高くて買えない店から消えるという悪循循環も起 こっているらしい。「過去40年、米国で最も値上がりしたのは野菜と果物」で、 (砂糖や油、牛肉など)不健康な食べ物の価格が補助金によって抑えられてきた歪んだ仕組みが遠因のようだ。これを日本の明日とはしたくな い。

と書かれていました。

そう、気になったのはいろんな食の話。本当かなぁ~って調べたくて購入してしまいました。

実体験者たちがいっぱいいるでしょうねぇ~

 『週刊東洋経済』貧食の時代

 

 

[Part3] あなたの子どもをどう守る?

変な給食から給食なしまで、「学校給食」の摩訶不思議

レシピ本がヒットした足立区の給食

今や乳児の10人に1人! 急増する食物アレルギー

ニーズあるのに対策進まぬ、子どもの夕食「塾弁」事情

と、タイトルだけの抽出。それも一部。

 

ただ、私が調べてみたくなったことは、給食実施状況。

大阪府と神奈川県は完全給食実施率が1割台!

公立中学校の完全給食実施率ワースト10

 

正直、ワーストという言い方されないといけないわけ~?

昔、確か、子どもの食事を給食に任せるなんて…なんて運動もあって、お弁当が母親の愛情を子どもに伝える手段と戦うように給食反対していた保護者がいっぱい…。そんなことを思えば、ワーストなのかぁ~?と思わされたのでした。

ただ、完全給食実施率と言われている「完全給食」とは?こんなに高い率で行われていたっけ…

平成20年 中学校10,850校 実施率 85.8%( 9,304校) 完全給食 75.6%補食給食 0.6%ミルク給食 9.5%

平成22年 中学校10,749校 実施率 85.4%( 9,182校) 完全給食 76.9%補食給食 0.6%ミルク給食 8.0%

 学校給食実施状況等調査  > 平成22年度  > 学校給食実施状況調査

平成22年度 > 学校給食実施状況調査

ミルク給食も実施されていないということなんだ…と驚きました。

都道府県名 総数 完全給食 補食給食 ミルク給食
学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比 学校数 百分比
40 福岡県      346      245   70.8        –     –      101   29.2      346  100.0

この実施状況しか意識していなかったのです。つまり、ミルク給食はあっているだろう…ってね。

だけど、大阪府はミルク給食も実施されていないのですね。

ただ、この7割も低い方なんだ…と思わされました。

いろんな意見があるんだなぁ…と思わされたサイト

 

中学、給食か弁当か 弁当派「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれる」

神戸市教委は、市立中学校(82校)での学校給食実施の是非を探る学識者ら の検討会を設置した。市教委はこれまで「家族の絆を深める」などと弁当を推奨してきたが、 共働き世帯の増加などで保護者の間では給食の導入を求める声が増えている。全国的にも 学校給食導入の流れが加速する中、検討会は来春までに意見書をまとめる。 
市教委によると、県内では41市町のうち、7割以上の20市10町が中学校で給食を実施している。 
市教委が昨年7月、市立中学校を対象に行った昼食に関するアンケートでは、 生徒の93%が弁当を持参、53%が今後も弁当を望んでいたが、その一方で、保護者の75%は給食の導入を求めていた。 
背景には、共働き世帯の増加で、早朝の弁当作りに負担を感じる親が増えたことがあるとみられ、 市議会では近年、中学校でも給食の導入を求める陳情や請願が相次いでいた。 
これに対し、市教委はこれまで「中学校では弁当」という姿勢を崩してこなかった。 
財政状況が厳しい中、調理施設の整備に最大100億円以上が必要な上、 「弁当は生徒一人一人の成長に合わせられるし、家族の愛情も深める」という考えを持っていたからだ。 しかし、全国的には、中学校で給食を実施する自治体が増えている。 
そこで市教委も、学識者や保護者らが参加する検討会で、中学校での給食の実施の是非を話し合ってもらうことにした。 
2月21日に行われた検討会の初会合には、委員9人が出席。給食のメリットとして 「親の身体的負担は軽くなる」「保護者の食の知識や技術に差があり、弁当では量や栄養バランスに 配慮できない人もいる」といった声が、弁当のメリットとしては「卒業する時に、弁当を3年間作ってくれた親への感謝の気持ちが生まれるのでは」といった声が出された。 

読売新聞で書かれていたようです。

中学校給食が必要な理由

個人的な意見では、私は給食嫌いだったので、実は中学校の時お昼に食べる量は少なかった。だから、栄養失調だったかも。今思えばね。そして、デザートがついているのがまた嫌で、甘いものを今は食べることができるけど、全く食べることがなかった。全部友達にあげてましたね。

自分が学校給食の栄養士をして、知ったことは、地域によっておいしいということ。まずかった…体験で育ち、提供側になっておいしいところもあると知って何が違うのだろう~?と思わされました。どちらも給食センターからのものには変わりないのに…ってね。

 

中学校給食だった私とお弁当だった弟。

学校によって違いはあるかな。

 

雑誌を見て、本当に~?と驚くのです。

「先生、イチゴ味とうどん出しは合いません!」「アメリカンドッグと白玉はどっちを先に食べればいいの?」

フーズ&ヘルス研究所を主宰する幕内秀夫氏が著した『変な給食』には、文字通りどこかおかしな学校給食の写真が紹介されている。

 きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳。カレーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグ。再現写真を突き付けられると、確かに珍妙な献立だ。

とその続きに書いてある文章も、ホント…。

何とすごいなぁ…。本当にビックリの献立を出しているんだ…と『変な給食』の方をチラッと見た時には確かに思いましたね。そして、自治体名まで記されていたことで反発が起きていたって、反発よりも広く知られた方がいいこれは劣悪すぎでしょ…という献立たちは、栄養士の実力を疑うわ…。

『もっと変な給食」という本が今年になって出ているんだそうです。

正直、こうやって子ども達が育っている…と思えば、これの方がマシなくらいのお弁当体験しかできないの?とは思いますね。

 

東京都足立区の給食レシピ本が売れているとも紹介されてました。


足立区 おいしい給食

サイトでも紹介されているそうで、また、区役所のレストランで1日限定30食学校給食をランチメニューとして提供されているんだそうです。

 

はぁ…。

 

栄養素摂取という点から見れば、冷凍食品を押し詰められたお弁当よりはいいと思います。ちゃんと考えられた献立なら。

 

ただ、私が見ても、きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳だけ?これは本気?と栄養士の人を知りたくなります。調理現場の調理器具等を考えて想像するだけですが、調理をする人の数もあると思うのですが、炭水化物ばっかりじゃん…。どんなに凝って、油揚げを煮ても、野菜はなさすぎるでしょ…。イチゴ蒸しパンを自家製にしているのかなぁ~なんて全て自前で作って出しているのなら、作業的に大変ですねといえるけど、市販パンなら何やっている調理場なのだろう…と思いますね。

 

かれーうどんに小倉白玉とアメリカンドッグも。野菜は~?

 

野菜嫌いな子どもたちなので、確かにこう言ったレシピに野菜をつけて…とすると、残食率高いかもしれませんね。だけど、こんなん食べて成長して、大人になってどうするの~?と思わされます。

だけど、言われたのです、昔。完全な和の献立にすると残食率が高くなると。そうすると、作る側の気がめいる。そして、それを食べさせる指導も学校側で大変と。

正直、それも一理とは思います。食べないと意味がない。そして、食べさせるのが大変な学校現場も想像できます。だから…といって、学校給食の内容は考えないといけないと思いますね…。

 

正直に思うことは、学校給食で初めて煮物を食べる、和え物を食べるなど、食体験を広めている子ども達が増えている。だから、学校給食で初めてが多かったりすると、食べないんだよ!と保護者の身勝手な発言には思います。

白ご飯を家で食べたことがなくて、ふりかけがないと食べることができない子たちがどのくらいいるか。野菜を食べることができない子たちがどのくらいいるか…。家で食べる機会が失われすぎてます。親がデザートしか食べさせていない子なんて、給食ではデザートしか食べないことも。

 

ただ、親の偏食や調理技術の無さで家では食べることができていないものを食べる機会を得ている実態。本当はそれを給食のメリットといっていいのか?と思うところはありますが、食べた経験なく成長するよりはましかなぁ…。

今、学校給食も大変と思います。

たかがキュウリを出すのだって、熱湯消毒しないと出せない。

サラダ、和え物を出す大変さを思うと、足立区の学校給食と紹介されていた雑誌の写真にトマトが切ってサラダになっている…って、消毒とかはどうしているのかな?とそんな感じ。

 

調理を自校方式の給食と給食センター方式の給食と、どちらがいいか?そんな議論もありますよね。

選挙でも「中学校の給食」が争点になるというところで、私が思うのは、いずれにしても食べない子は食べない。ちゃんと調べることができるのなら、残食率など調べて見た方がいいと思いますね。個人差大きい。

学校の教員たちの意識も「給食は太る」と思って、女の先生方とか敬遠する声がありますが、正直食べすぎだよ!と思います。先生たちが山盛り取って…という、教員が自分の給食が少ないと不満を漏らし生徒たちから取り上げる先生体験をした私から言わせてもらえば、太るのではなく適量食べることをしないから。あとは、確かに中学生用を同量食べる年配者は無謀。食パン3枚とかつくときあったりしたもの。パンも素材そのものの味を味わう…ってできない人が多くなっていて、菓子パンとかも増えているでしょうし…。「給食は太る」と平気に口にする先生たちの言葉を聞いて食べたがらない思春期に突入する小学高学年や中学生女子たち。本当は、この時期にちゃんと食べる必要は本当にあるのに…心ない大人や男子の言葉で食べなくなる人達も出てくるお年頃。

 

脱脂粉乳にコッペパンといった給食イメージだったら、確かにお弁当がいいと思うでしょうけど、コンビニ弁当と給食と比べるような世代になっているとしたら…。

 

再現写真を真に受けるわけではないけど、こんな献立を出されて栄養バランスを算出していないのかなぁ~?

 

 

カレーうどんにタコ焼きとソラマメに「ビアガーデンか!」というタイトルがついているそうですが、そんな献立をたてている栄養士その方がそういった食生活で育っているのでは?と思いますね。

 

器にうるさく言う保護者がいたり、食材の質にうるさく言う保護者がいたり…と、数百円で作る世界の給食。それでも、どの地域の給食もなるべく子ども達にいいように…と食材吟味等されていると思うのです。その財源である給食費を払わない家庭がある。それで給食はどうやって出していけるのか?そう思うと、家庭の責任で弁当にしたら?とは思いますね。食材だって何だって自分で厳選して出せば~なんてね。

 

私が体験した給食食材を選ぶ…という体験をもとに言うと、同じ食材をスーパーでは買いもとめられない。もし、同じレベルの野菜とかを買いたいと思ったら、取り寄せか高級百貨店等で買うしかないかもねぇ…くらいに頑張っても、捨てる子どもたち。食べ残すことを何とも思わない子どもたち。

正直、男子と女子で摂取量の基準等違って当然だし、その辺の考慮がなかったりすると必要以上取り過ぎ…もあるかもしれないとか、厳密な管理なんて無理でしょ…と思います。食物アレルギーの子ども達も増えていて、実際にはそんな人たちへの対応も求められると…現場は大変ですよねぇ…ってね。

給食受注制にして、いろんな種類増やして弁当形式でもいいから業者を入れるとかなら支払いの滞りも減るんじゃない?

タダ食いをさせていける自治体がどれほどあるか?

野菜は高いんだよ~って思いで「きつねうどんにイチゴ蒸しパンと牛乳」という献立を見た時、栄養バランス…という観点ももちろんあるけど、この献立が出されている学校は給食費の回収はちゃんとできているのかな?と疑問も。それは「カレーうどんに小倉白玉、アメリカンドッグ」も同様。これなら安そう…なんてアメリカンドッグは市販品としても、全て作ると原価計算するなら安そう。規模の小さいところで野菜を使うってホント高いだろうなぁ…と思うのです。常に安いときばかりではないし、冷凍野菜使わないよね…基本と思っているのもバイアスかもね。

 

食物アレルギーなんて、解明されていない原因といわれるけど、私は親の食生活などが大きく影響しているとは思いますね。

ホント、生きる基盤にあるはずの食をちょっと疎かにして治療費を払いたい人が増えているとしか思えないのでした。

 

 

 

 

言うとおりより、するとおり

コメントをいただいて嬉しいけど、読み終わるのを待っていたら書けない…と先に100投稿目。

消えたとはいえ、ようやく100です。

 

いろいろと資料だけはたまっていきます。

 

だけど、100回目で見つけた順番より、今、この本に出会えてよかった…と今日出会えた本を。

 

感謝です。

 

その本のタイトルは、『置かれた場所で咲きなさい』。

以前発見したときは、手に取りませんでした。

でも、今日発見したとき、手に取ってみました。今日手に取った本は、売れているという棚から2冊。

そのうちの1冊。

 

この本との出会いに感謝です。

 

こんな事例いっぱい…と他人事のように…書きながら、本当にこの本に出会えてよかった…と思えることと仕事のために書くことは違うかなぁ…。

 

子どもは親や教師の

「いう通り」にならないが、

「する通り」になる。

子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。

ただ、誠実に努力して生きていくだけでいい。

 

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

 

1,2ページの出来事を交えたお話を、こんな感じでまとめてある。

いろんな同じことを書いている本を見ます。そして、本当にそうだよねぇ…と思うことなのですが、こんなにわかりやすく端的にまとめてある。そう思わされる優しい語り口。

いろんな同じことを言う文章よりも、伝わる気がします。

 

親の価値観が子どもの価値観を作る

 3歳ぐらいの子どもを連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語って聞かせています。「おじさんたちが、こうして働いていてくださるおかげで、坊やはおいしいお水が飲めるのよ。ありがとうといって通りましょうね」

 同じところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。子どもに向かっていいました。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」

 価値観はこのようにして、親から子どもに伝えられることがあるのです。最初の母親は、人間はお互い同士、支え合って生きていること、労働への感謝の念を子どもの心に植えつけたのに対し、2番目の母親は、職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する価値観を植え付けたのではないでしょうか。…

 

なんて書いてある最後に

価値観は言葉以上に、

実行している人の

姿によって伝えられる。

同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。

子どもには、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

といった感じでまとめてあるのです。

 

53万部突破と書いてありました。

最初に見た時は、手を伸ばしませんでした。

だけど、知らずに語るなかれ。ちゃんと勝手に判断ではなく、読んで…と手に取りました。

 

いたるところ、本当に心洗われる思いがします。そして、年を重ねる凄さを思わされます。

 

日本で、いじめがなくならない理由。

その一番大きな原因は…?と尋ねられたら、私は大人の弱さだと思います。

ここにあげた母親。前者と後者のどちらが多いか?

学校の教員で後者に出会える確率は低いです。聞いていて気持ちが悪くなるくらいに後者の言葉を使う人が多いです。

あ~日本がよくならないなぁ…ではなく、しみじみと、伝えていることが違って、何を伝えたいのかという意識しているところがないから発言している言葉たちかもしれない。子どもを思って…の後者の発言と言いたいお母様方が多いんだろうなぁ…と思っても、この著者と同じように私も思います。というより、この文章を読んで安堵しました。母より年上のこの著者だから、時代が違うと価値観も違うの典型的な話でしょうか?

 

昨日、大雨、落雷。

櫓から下りるように…など、注意し避難。そんな中、まだ上がっている…。誰?と見たら、教員でした。

保護者や生徒にしめしがつかないね…。注意している立場はどっち…?

保護者だと危険を伝えに行こうって、動いたら言っている側。管理職に報告しても、わかっているでしょうから…と放置判断。

これじゃあ伝えているのは、何?

 

そう思っている矢先に読んだ文章。

 

いろんなことがありますが、言うことよりしていることの方が強いんですよね。

「これは禁止です」と言いながら、実際にそのことをしている人が何も言われずに過ごすことを見ていると、恐らく多くの人達は禁止を咎めることのできない組織と見るでしょうね。そして、一部の人たちは、咎められないのならしていい…そう判断するでしょうね。

 

雪山で遭難など、いろんなニュースが流れます。母が山登りを昔していて、見ていて言うのです。こんなこと絶対したらいけないのでは?と。時代が変わって、昔より便利になり、昔よりもしかしたら雪山でも何でも危険が減っているのかもしれないなど思いながら母の言っていることを聞きます。だけど、同じだよね…。禁止だったり、しなければいけないことには理由があったりする。その理由をわかっている人には、何をやっているんだ…と、実行している人たちを注意したり警告したり…しない人達に対して何をしているんだ…と思います。だけど、咎められない=していいという雰囲気が万延している感じがします。注意している矢先から、注意している組織から違うことをしている人の姿を見せる…。警察の飲酒運転みたいなものでしょうか?

 

そうしたい気持ちを理解するという側面もあると思うのですが、その行為によって他者へ与える言っていることに対する重みのなさを伝える行為としての側面を見るということはないのかなぁ…?

「こうやりたい」が規範よりも先立ち動く…何年も教員をしている人間の行為としてどうか?なんて思いながら、管理職が言いというのなら…と不快に思うけど、気づかれた方偉い!くらいでちっとも気づかなかった私としては、第3者へ与える影響って考慮するのは普通ではないということを学びました。

 

 

 

ナショナル・ミニマム

新しい学習指導要領の理念と課題―確かな学力を基盤とした生きる力を』梶田叡一著

この中に梶田叡一氏(文部科学省・中央教育審議会副会長)の話がいろんな形で紹介されているのです。

そこに「家庭で新学習指導要領を考える」という章があり。

インタビュー記録で、『日本教育新聞tesio』2008年3月10日原題は 家庭で考える「新学習指導要領」とのこと。

家庭向けに書いてあるから、わかりやすい…と思うところ。

 

学習指導要領とは何ですか?

全国の子ども達が何の勉強をして、どんな力を身につけるべきかという最低限の内容を決めたもの。

この説明の続きがなるほど…って。わかりやすい!

 

 これがあるおかげで、日本ではどんなに山奥や小さな島に住んでいて重、一定したレベルの教育が受けられます。義務教育と聞くと、親や子どもの義務と思われがちですが、もう一つ、政府の義務でもあるんです。地域格差のない教育を提供するためにも、学習内容は、もちろん、先生の配置の仕方から校舎の建て方まで、さまざまな基準が設けられています。

 

その続きの言葉が、気になりました。

ナシャナル・ミニマム … 国全体で誰もが最小限身につけるべきこと

ローカル・オプティマム … その土地ならではの特徴を活かした勉強

 

ナショナル・ミニマム(national minimum)とは、国家(政府)が国民に対して保障する生活の最低限度(最低水準)のこと。

日本の場合、根拠は日本国憲法第25条。これを保障するための社会政策は、生活保護法など、それらを総称して「セーフティネット(安全網)」と呼ぶ場合がある。、国家として保障するものを「ナショナル・ミニマム」というが、地方自治体単位での最低限度の生活水準(生活環境水準)については「シビル・ミニマム(civil minimum)」という。

ウェッブ夫妻

 ウェッブ夫妻のいう「ナショナル・ミニマム」概念は,「最低賃金,最長労働時間,衛生安全,義務教育」の4つの項目からなる。

最低賃金が,現在の日本にも存在しているように,それは労働市場での自由な雇用契約に,一定の枠をはめて,これを規制していこうとする労働政策であった。ナショナル・ミニマムは,ベヴァリッジの「最低生活費保障原則」につながっていく福祉国家の最も根本的な理念の一つである。
 ところが,それは単に低所得者に対する平等主義的な所得分配策であったのではない。

「ナショナル・ミニマム」は,快適な労働条件によって労働者の健康,知力,活力を増大させ,また,劣悪な条件でしか労働者を雇用できない非効率な企業を追放することで,マーシャルのいう「有機的成長」を,加速度的に推し進めようとする生産力理論であった。

ちなみに,ウェッブのこうした主張は,東京大学,大河内一男教授が提唱したところの,生産力説的な社会政策論と,ほぼ等しい視点にある。大河内教授は,もちろんウェッブのこの面に気づいていたであろう。     

               ウェッブ夫妻『産業民主制論』(1897年)より

 

もともとは、教育用語ではないみたいですね。この用語を、このような使い方をするのは一般的なのかなぁ…?

教育に於けるナショナル・ミニマムというテーマで書いてあるブログのページ発見。

この記事は2005年9月の文章。

教育の国家責任とナショナル・ミニマム2012年04月発行

義務教育費国庫負担制度のあり方について  東京学芸大学 小塩 隆士

ナショナルミニマム研究会中間報告(案)  平 成 2 2 年 ● 月 ナショナルミニマム研究会 これは厚生労働省のサイトにあった…

ナショナルミニマム 平成22年厚生労働省報道のための資料みたいです。

日本の教育を考える10人委員会2011

これまでのナショナルミニマム研究会における各委員からの主な意見(事項別概要)

 

いろいろ探してみて、「ナショナルミニマム」という言葉が出ている文部科学省関係のものって…?

中央教育審議会 義務教育特別部会(第33回・第34回)議事録・配布資料

平成17年9月8日(木曜日)14時~18時

資料2 学習指導要領等の教育課程の基準等の在り方について

簡潔な言葉で国がナショナル・ミニマムとしての教育の基本を示すことが必要。

  ニートの問題を含め,義務教育の在り方,教育課程の在り方が問われており,日本の教育や各教科の水準,ナショナルミニマムがどうあるべきかの検討が必要。

 

これなのかなぁ…?

 

新教育基本法法制研究特別委員会公開研究会

 1. 全体テーマ 「教育・保育におけるナショナル・ミニマム・スタンダードと地域主権改革」 2. 期日 2010年10月16日(土) 午後1時30分~午後5時30分 (開場:午後1時) 3. 会場 桜美林大学四谷キャンパスB1ホール(地下1階) (JR四ツ谷駅、東京メトロ丸ノ内線・南北線四ツ谷駅より徒歩3分。) 4. 報告  渡部昭男(鳥取大学)  「障害児教育におけるナショナル・ミニマム・スタンダードのこれまでと今後」(仮)  横田光平(筑波大学)  「保育におけるナショナル・ミニマム・スタンダードのこれまでと今後」(仮)  山崎洋介   (ゆとりある教育を求め全国の教育条件を調べる会)  「義務教育費国庫負担法の現状と今後」(仮) 主催   日本教育法学会

東京都町田市教育プランが書いてある中に次のように紹介されてました。

2001 年の地方分権改革推進会議報告において、「ローカル・オプティマム」という言葉が登場したことに象徴されるように、地方公共団体には、地域住民のより高いレベルのニーズに応えて、地域ごとに最適の施策の組み合わせを探求し、その実現に向けて努力するという考え
方が求められています。
この考え方は、国がすべての国民に対して最低限の行政サービスを保証するという「ナショナル・ミニマム」の考え方と対立するものではなく、主権者である国民=地域住民の立場を重視し、真の分権社会の実現を目指すという点で同一基軸にあるものです。すなわち、国と地方
の役割分担を明確にして、国が責任をもつべき分野については、基盤整備等の面からその責務を十分に果たす必要があり、地方が責任をもつべき分野については、地方の自主性、主体性を十分に発揮していく必要があります。

ということで、2001年に「ローカル・オプティマム」という言葉が登場したんだ…。

学校教育におけるナショナル・ミニマムは、臨時教育審議会、教育改革国民会議、中央教育審議会などの組織で検討され、答申として示されてきましたが、その方向性は、時代背景や社会的要請を受けて変化してきています。
大綱的な基準や標準、あるいはナショナル・スタンダードと言われてきた学習指導要領についても、2004 年の中央教育審議会答申において「最低基準」というとらえ方があらためて強調され、ナショナル・ミニマムとしての特色が明確になっています。また一方で、社会的な要請や指摘を受けて、文部科学省が実施した全国的な学力調査やいじめ実態調査は、義務教育の責務である「水準の確保」について、国が責任をもって検証しようという動きです。

これは古いのかなぁ…?2004年が最後かなぁ…?

 

義務教育特別部会(第37回) 議事要旨  平成17年9月30日(金曜日)

資料3-1 義務教育は将来への投資!!ナショナルスタンダードを維持しつつ、地域の特色を取り入れた教育を(藤田委員からの配付資料)

 

 

本『新しい学習指導要領の理念と課題―確かな学力を基盤とした生きる力を』に書いてあることで、それってホント…?と思ってしまうところは、旧(現行)学習指導要領との差は何ですか?というところに書いてある言葉。

できるだけ子どもにラクをさせるのをよしとしたのが旧。これからは、子ども自身の頑張ろうとする気持ちや、いろいろな知識や能力を自分から身につけようとする態度を大事にした内容になります。

2単位になったんだから…ラクさせていられない…って思ってやってましたねぇ…。授業以外のところで学ぶ機会を持ってもらわないと、身についてもらえない…ってやっていたから、この一文はビックリ。

 

この表現の仕方は理解しやすいなぁ…と思わされた文章。

教育方法は違っていても、今、どの国の子どもたちにも必要とされているのは、確かな知識を駆使して自ら考え、判断できる力です。高度情報化社会を迎え、“おいしい“情報に子ども達が振り回されないためにも、大人が自立した人間としての在り方を示して、子どもが欲求や欲望に流されないようセーブしてあげる必要があります。

 その際のポイントは二つ。ひとつは、みんなが気持ちよく人間らしい生活を送れるよう、一定のルールを共有してときに我慢し、他人の都合も考えるということ。近代社会・国家が形成された原理である「法治主義」の考え方です。もうひとつは、自分の内側に良心や規範意識を作り、欲求をコントロールすること(=「超自我」の形成)。これら二つは自然には身に付きませんから、親がしつけを通して教えていきました。しかし近年では、親自身がそれらを理解していないことが多く、そこにつけ込んだマスコミをはじめとした学者や教師が「子どもに好き放題させることがいいこと」とあおったのが、「ゆとり教育」であったといえます。

 

わかりやすいけど、とっても凄い表現…。親がしつけを通して、子どもに何を身につけさせたらいいかを理解していないことが多いということ。そんな親の状態に対して、学者や教師がつけ込んだと書いてあること。すごい…ホントビックリ…。

自由にさせていないと偉く言われた…普通科での話が全て間違っているってことと思える文章。大元の文章を読むと、この「ゆとり教育」とは違うって思うのに、大筋のところで目指すところは一緒のはずなのでは?と思うのに、この否定文章凄いなぁ…。ただ、本当に心強く思うのは、この「子どもに好き放題させることがいいこと」と言わんばかりにしてきた管理職はじめ先生方から批判され続けたことが、おかしくなかったんだ…ってしみじみと。心強く思った文章ですね。

そういう意味では、この本のこの部分から先のページにずっと書いてある表現の中に感じられる批判的な姿勢。

ただ、違う受け取り方をされたら、また、なんか違うことになりそう…とは思いますね。

86ページ87ページに書いてあるアメリカやイギリスなど欧米の教育の話を日本の話みたい…って思うしかない。

 その結果、学力大幅に落ち、暴力や犯罪、中高生の妊娠が一気に増えました。自由奔放にしたら意欲がわくかというと、むしろ勉強する気が亡くなり、努力する気もなくなる。勝手気ままというのは、人間から活力を失わせるのです。子ども達の置かれた状況に危機感を覚えた欧米では、1985年以降、教育方針を180度転換しました。子どもが自分でものを考えた上で自己責任によって判断する、時制や字会を重んじる教育に戻したのです。

 

実際に出た結果としては、書いてあることって正しいなぁ…と思うことがいっぱい書いてあります。ただ、本当のところは、つけ込んだマスコミをはじめとした学者や教師が問題だったんじゃないの~?なんて思うことはあります。大元の答申とか読んでいて、こんな解釈に捻じ曲げる…?なんて思わされるマスコミ文章。そして、そんなマスコミなどのまとめて簡略化したものしか読んでいなかった教師と会話して通じない…と思うこと多々。

 

親に対して書いてあるこの文章を読んで、思うことは、読む親が多くないと伝わらないんだよねぇ…。

 

しつけを通して親が子供に身につけさせることとあげていることは、ある意味で、保育の授業で、親の役割として伝えるべきことなのかもしれない…?なんて思いながら、読んだのでした。

 

文部科学省が出している文章達から、見つけ出さないといけないのかもなぁ…。

 

教育基本法

第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

この「せいかつのために必要な習慣」「自立心」「心身の調和のとれた発達」というところに、ポイント2つがかかわっているのかもなぁ…。

 

この本を読んでいて、思うことは、新学習指導要領を理解しやすくしてくれているなぁ…というのと、梶田叡一氏の私見はどこからどこまでなのか?というか、私見として取った方がいいのでは?と思われる部分を公的な意見として取ることにもなりそうな本だなぁ…と思ったのでした。

書かれていることをごもっとも…なるほど…と思うのです。だけど、この一冊だけで理解してやっていこうとすると、見えない部分があるなぁ…と思いました。