今日、お彼岸の法要に参加しました。
そこで、講話がありました。
福井県のお寺の住職さんのお話
タイトルをつけるとしたら…「因縁」かも…なんて、「残念無念」について話されました。
残念無念って、続けて言うといわれてました.
確かに…言わないけど効くそう聞いたことがあるなぁ…。
残念とは、念が残ること
無念とは、念が無いこと
実は反対の言葉と言われました。
ん…確かに。
そこで、インターネット上で調べてみました。普通に言う言い方なら出てくるはず…
同義語として、出てきた言葉たちがこれら。
質問サイトにも、出ていてベストアンサーになっていたものには
無念とは、
「(正念を失って)口惜しく思うこと」であり、ここでいう正念とは、「正気・本心」とか、「心から仏を信じ、一心に念仏すること」です。
とありました。ただ、ベストアンサーとして選ばれていないところに辞書を引いて…
「無念」
(1)仏教語
1.想念を離れた無我の境地にはいって何事も思わないこと。正念。無想。
2.とらわれを去った思い。執着のない正しい思い。
3.心の動揺をしずめて行う念仏のこと。
(2)正念を失ってくやしいこと。口惜しいこと。残念。
以上国語大辞典等から引き出しましたが、
無念の「無」については①─1.を参考になさってください。
そして②を見てください。無念=残念になっていますね。
漢和辞典を調べてみました。
すると、「無念」の意味のなかの「くやしいこと。残念」に【国訓】(わが国だけに用いられる意味)
とありました。
とありました。だから、仏教語というキーワードをたして調べてみると出てきたのは
よんで字のごとく「念がない」のですが、何の念が無いのかと申しますと、「妄念」という念が無いのだそうです。
と、こちらはお寺のサイトから。
仏教語大辞典(中村元著、東京書籍)によりますと、
①有念の対。妄念のないこと。とらわれのない正しい念慮。
②・・・省略(禅宗の派による解釈の違いなので省略しました)
③正念を失ったさま。残念。
仏教後大辞典なるものがあるのですねぇ…省略されているところも知りたいなぁ…と拝見したサイトにあった説明の一部。
有念、念についても、辞書で調べて書かれていました。
『無文老師の三分間法話』この本のことかなぁ…?
山田老師という人が書いた…と、お話の中に出てきた本。多分これだろうなぁ…。そこに出てくる話しなのか、講師が作られた話なのか?わかりません。
ただ、残念無念の説明として話されたこと。
朝、10のことをやろうと決めて仕事に出る。
1日を終えて、朝決めた10ができたかを考えるとき、6できたのなら、4が残念。
念が残るというもの。
だけど、4ではなく6を見たとき、6できるということは、周りの助けあって6ができている。
だから、「ありがとう」と受け止める。これが無念?
残念無念という
残念ならんことを無念にならんことを本意でありますことを
残念であったけれど無念
なんとなく、わかったようなわからない話でした。過去の一連の苦い話とともに、くっついてきた説明の話だから、一連の話をもってして理解させようとしている…から抜き出すと変な感じ。
退職してすぐに夫が亡くなられた妻に対して、どのような言葉を書けたらよいのか思案されて、本を読んでいたところにこのことならば自分の言葉として伝えることができると講師の方が思われて、妻に対してお手紙したという趣旨。その手紙に書いたことが残念無念ということ。
これから楽しく夫婦で旅行をしたり…と考えていたのに、残念…だけど、それまでの人生を見た時にその人の人生残念か?
そんな風に聞こえました。
ただ、おっしゃっていたことは、恐らく、そんなことを若僧に…といっても住職をはじめて10年経ったときのことだそうですが、確かに定年退職した夫を持った方はそれ相応の年齢…住職と悟りを開いている方とはいえ言われて、心情いかに…というところで、苦い話なのでしょうね。
お返事待っていたと10日して返事が来て…とおっしゃっていました。
うかがっていて、10日で来ただけ凄くない?なんてね。
相手の凄さ…夫を亡くした妻の凄さに助かった話…って苦い話?とも思わされました。
連れ添ってきた夫を失った老女に対して、それは「残念無念」という言葉が一番適当だろうと送った僧としての心はわかる気もするけど、そんな言葉をもらった老女の気持ちもわかる気がします。
そんな、簡単に、天命だったね…と思えるか?
震災等で若くして亡くなった人たちを身近に持つ人たちに対しても「残念無念」なのだろうと思うのです。だけど、そんな「残念無念」と言ってありがとうと言えるか?心情を思ったときに、怒りで帰ってくる可能性ありのことばだなぁ…って思わされました。それと同時に、「残念無念」と言葉をかけられた人の心情とあいまうと、意味が「口惜しく、とても残念である」という転じていくさまが思い浮かべられました。
きっと、「残念無念」と僧侶に言われるような状況って、一般の人にとっては、「かじったりんごを見て、かじられたところに注目するな、全体の完全なるところに注目せよ…なんて、いい方を見て感謝せよ」なんて言われていると思わない思えないような状況のはず。そんな中で発せられる言葉だろうなぁ…って思って、「残念無念」といわれた方は、ホント…悔しいよ…残念だよ…って言葉の意味を知らなければ深く心に残念を刻みそうと思わされました。
だけど、意味を知っていて「残念無念」といわれたならば、ありがたいと思えることへの注目に視点を切り替えるための言葉に聞こえる。
残念だけど、無念にして感謝して気持ちを切り替えることができるか?というより、切り替えるということなのかなぁ…って思わされました。
さて、このお坊さんのお話をうかがったら、タイトルつけるとしたら「残念無念」のはず。
だけど、私はそれに伴って話された言葉
一片のご縁、その一片が大事
漢字で書くと、「いっぺん」とはどの字を当てるのだろう?耳にして、字を思いつけていないから、これかしら?と勝手に当てた。
違うかもなぁ…。
一片に一片が加わって、因が重なる。
一片を因といい、因に縁を加えて熟する。
一片にどのように縁を加えていくか
いい縁を加えていく
一片のご縁、その一片が大事
どのような大きな結果も、縁をたどっていくと一片から。
話された順番に書いているのではなく、意味を取りやすく感じた順に並べてみました。
「因」という言葉と「縁」という言葉の意味を考えさせられたのでした。
なんとなく…って、今調べていないから、調べていないままに書くと「因」というのは種みたいな感じがして、「縁」というのはその種をどう扱うかみたいに感じました。
時は今 ところこのまま 今ここよろこぶ人は
これって、何かの出典ある言葉かしら…?とうかがいながら、ただ、この「よろこぶ」という言葉の意味は、無条件でその事実一切文句言わず全て自らの責任と受け止めて生きることと。
「よろこぶ」という定義自体も、目からウロコ。
母が怪我をしたので、行くことになった法要ですが、貴重な学びの機会になりました。感謝。
書き始めたのは昨日で、今朝書き上げたから日付おかしい。最初の10行くらい昨日。