柿右衛門

私が、書けることなんてホント少ない…。正直にそう思うのです。それでも記録…って調べるきっかけにもなりますし、確認したいことも…。

「柿右衛門」を知ったのは小さい頃だとは思います。名前は知って、こんなものっていうのも知って…ってね。漠然とでもここら辺に住んでいたら見かける機会は多いはず…そんな感じ。私の母は山口の人なので、母の妹だる叔母が言っていた言葉が母にも当てはまると思います。「ずっと萩焼を見てきているから、絵柄があるものは目新しい。…」有田焼を叔母にあげると、喜んでくれてました。確かに…母の実家では萩焼は普通に使っているモノでしたから、私も目慣れしてますね…。そんな感じで福岡にいると…有田焼はよく目にします。陶器は違うけど、磁器は有田…って感じ。

それでも、へぇ~と魅せられた最初は、ハウステンボスだったかなぁ…?ショップ?ミュージアム?があります。また、大航海時代…とオランダ側から見た日本のもの?輸出されていった陶磁器たちの話を学んだのでした。

こんなヨーロッパの宮殿に日本の陶磁器がある…ビックリでした。ハウステンボスがオープンしたての頃。また、その前のオランダ村でのことだったのかな…?

1659(万治 2年) オランダ東インド会社、56,700個有田皿山に注文、この事により輸出量が飛躍的に伸びる

柿右衛門窯のサイトに書いてあった文章です。

ドイツ・ベルリンにあるシャルロッテンブルグ宮殿の磁器の部屋「ポルセレイン・キャビネット」を再現したというハウステンボスの一角。

知らなかった…世界遺産に登録されているんだ…。

シャルロッテンブルグ宮殿

Porzellan und Keramik このサイトがシャルロッテンブルグ宮殿が出している情報だから一番…かな?

でも、映像で見たいなぁ…。

日本語ではありませんが、説明まであり。でも、私の知りたい磁器の部屋には触れていない…感じがしました。

こちらは早いけど、磁器の部屋が写ってました。

今はやっていないのでしょうけど、窯元の映像としてはキレイに写っているからわかりやすい…。

 

柿右衛門窯 2012年秋の新作展の期間中、薪窯による本焼焼成の特別公開を行います。
通常は公開していない工房内での本焼焼成作業、細工場、絵書座を特別に一般公開いたします。

こちらは興味深いですね…。

調べてみよう!って思わない限り気付きませんでした。感謝。

 

私がマニアック?に知っていることは、戦後、一度柿右衛門窯を支える職人さん達が減って…(戦争のために)危機的な状況になったとお聞きしたことがあります。その時、地元を挙げて支えたとか。詳細は知りませんが、そんな話と共に手に入れたものがあります。

国内外に名前が広まっている窯元が潰れたら…と思うと、本当に復興させること大変だったことと思います。ウエッジウッドなども同じなのかなぁ…?なんて思わされます。

有田の色絵磁器は、1659年頃に本格化するヨーロッパ等への輸出によって生産が拡大され、それに伴いより白く傷や歪みのない素地を作る技術も急速に進歩していきます。そんな中、柔らかくて温かみのある乳白色の素地の上に、余白を十分に残した明るく繊細で絵画的な構図を特徴とする色絵磁器が作られるようになりました。それは1670年代頃には技術的にも完成され、いわゆる典型的な「柿右衛門様式」として確立していきます。
柿右衛門様式の色絵磁器は、国内はもとより国外でも高く評価され、オランダ東インド会社(VOC)の手によってヨーロッパ等の国々へ大量に運ばれていきました。当時のヨーロッパの王侯貴族たちは初めて目にするその華麗な色絵磁器に魅了され、自分たちの宮殿や邸宅を飾るため財を傾けてまでも競って手に入れたといわれています。
この「柿右衛門様式」は1690年代頃まで有田の色絵の流行様式となり、乳白色の素地だけでなく青味を帯びた白磁や染付を用いた素地にも、同じような雰囲気の色絵を施したものがたくさん作られるようになりました。現在では一般に、これらも含め「柿右衛門様式」と呼ばれています。

これは、柿右衛門様式について、柿右衛門窯のサイトで紹介されている文章そのままです。

よく「柿右衛門様式」と耳にしますが、どんな物のことを言うのだろう…?と思っていることに対して、柿右衛門窯が言っていることを知ることが一番かなぁ…?

柿右衛門窯のサイトに「贋作について」という項目がありました。

確かに…模倣品いっぱいありますよねぇ…。

 

これは、アンティークマイセンのDMから。広告写真ですが、本当にすごいなぁ…と美術館・博物館などでこの元になった器と並んでマイセンの器が展示されているモノなどを見ると、日本の図柄がどのように変化していくかを見ることもできることがあります。

海外への影響力…。

小さい頃は疑問だったのです。何となく、ヨーロッパのものとか言っているのに、日本のものみたい…。正直、日本がヨーロッパのものを真似てデザインしているということは多々知っていました。だけど、日本のものが海外へ…全く知らなかった小学生の頃。浮世絵がゴッホに影響を与えた…など知ったり、日本の江戸時代かなりの工芸品が海外へ出ていっていることを知って、いろいろ知っていくと、海外の物とすごいなぁ…って思っていたものにも日本の文化の影響がある。逆もしかしりですが…。

 

今、アニメ・マンガ・キャラクターが日本の文化として世界へ出ていってるけど、ある意味、日本って昔から文化を輸出していたんだ…。それほどに素晴らしいものって…実は日本も朝鮮から中国から学び、創り上げていってるんだよねぇ…。

 

世界中がつながっているなぁ…とシルクロードの話を学んだりして、唐草模様や正倉院…と言葉を学んだり図を見るだけの過去の出来事…ではなく、今にもつながっているということを思わされます。

 

伊万里焼と言って海外へ出ていっている…その全てが柿右衛門窯ではなく、他の窯もあり。それぞれに素晴らしいものを作り、海外へ…。

今も評価を受け、そしてそんな文化を維持している。途絶えてしまうものもあったりする中、存続し続ける難しさもあると思わされます。

 

襲名30周年十四代柿右衛門展を見に行って、思ったのです。こんなに集まっているのを見る機会もすごい…。

ただ、もう30年も経つのを知り、驚きました。襲名したって聞いたことをかすかに覚えている…ってどんだけ昔のことか…と思わされましたね。聞いて覚えていること自体マニアックだなぁ…とその頃の自分が知っていることを思います。まぁ…母の影響でしょうね…。

 

私が行った時にすでにかなり売れていて、不景気とか関係ない世界だなぁ…って見ていたのです。それで、「すごいですね…。こんなに売れているんですねぇ…。」と半分くらいのものにもうソールドアウト表示がある…って思ってビックリしたのでお話したら、「本当にそうですね。お買いになったお客様の中には、代々家宝として伝えることができるから購入したという方も…」なんてお話を聞かせていただきました。なるほど…。割れるものではかないものだけど、本人作の数は限られていて襲名30年を迎える方の作品…と思えば、高いものではないのかなぁ?ん…

 

あと聞いて本当か知りたいなぁ…って思っていることを調べるのは難しいかなぁ…と取りあえずメモ。

14代柿右衛門さんは柿を描きたがらなかったから、晩年の作にしかないって。ホントかなぁ…?確かに柿は少なかったかも?わかりません。

 

 

 

 

投稿者:

nova

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